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札幌高等裁判所 昭和50年(行コ)1号 判決

控訴人

小林敏志

右訴訟代理人

山中善夫

被控訴人

北見労働基準監督署長

工藤照光

右指定代理人

成田信子

外四名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「一、原判決を取消す。二、(主位的請求)被控訴人が昭和四六年五月一日付をもつて控訴人に対してなした労働者災害補償保険法による療養補償給付及び休業補償給付を支給しない旨の処分を取消す。三、(予備的請求)被控訴人が昭和四六年五月一日付をもつて控訴人に対しなした労働者災害補償保険法による療養補償給付及び休業補償給付を支給しない旨の処分は無効であることを確認する。四、訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、主文と同旨の判決を求めた。

当事者双方の事実上及び法律上の主張並びに証拠の関係〈略〉。

理由

一主位的請求について

被控訴人は、前記引用にかかる原判決書三枚目裏九行目から同四枚目裏五行目までに記載の理由をもつて、本件主位的請求の訴は不適法であるから却下されるべきである旨主張するので、まず右主張について判断する。

昭和四八年一二月一日から施行の同年法律第八五号による改正前の労働者災害補償保険法(以下単に「改正前の労働者災害補償保険法」という)三八条によれば、本件の如き労働基準監督署長の労働者災害補償保険法に基づく保険給付に関する処分の取消の訴は、当該処分についての再審査請求に対する労働保険審査会の裁決を経た後でなければ提起することができない旨定められている。控訴人が本件負傷による入、通院の療養及び休業につき昭和四六年三月一三日被控訴人(当時の署長は川内克彦)に対し労働者災害補償保険法に基づく療養費及び休業補償費の請求をなしたところ、被控訴人は同年五月一日付をもつて右療養費及び休業補償費を支給しない旨の処分をしたので、控訴人は右処分を不服として北海道労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をなしたが同審査官は同年一二月二〇日付をもつて右審査請求を棄却する旨の決定をなし、同決定書の謄本は昭和四七年一月一〇日控訴人に送付されたので、控訴人は、右決定を不服として昭和四七年一一月九日労働保険審査会に対し再審査請求をなしたが、同審査会は昭和四八年四月九日付をもつて右再審査請求を却下する旨の決定をなしたことは、いずれも当事者間に争いがなく、右再審査請求の却下決定が、控訴人の再審査請求がそのための法定期間を経過してなされた不適法なものであることを理由としてなされたものであることは控訴人の明らかに争わないところであるからこれを自白したものとみなされる。ところで、労働保険審査官及び労働保険審査会法三八条一項によれば、労働保険審査会に対する再審査請求は、請求人に労働者災害補償保険審査官の審査請求に対する決定書の謄本が送付された日の翌日から起算して六〇日以内にしなければならないのであるところ、控訴人の右再審査請求は、右所定の再審査請求期間を経過したのちになされたものであることは明らかであるから、不適法なものであつたといわなければならない。もつとも、同法三八条二項、八条一項ただし書によれば、正当な理由により右所定の再審査請求期間内に再審査請求をすることができないことを疎明したときは右所定の再審査請求期間経過後でも適法に再審査請求をなし得るものであるところ、控訴人は、右正当な理由がある旨主張し、この事情として、前記引用にかかる原判決書七枚目表一三行目から同八枚目裏五行目までに記載のとおり述べている。しかし、右主張の事情のうち、再審査請求の方法がよくわからなかつたとの点及び右原判決書八枚目表八行目から同一三行目までに記載の事情を除くその余の事情については、たとえそのような事情があつたとしても、そのために、控訴人、又は控訴人が前記再審査請求の手続を委任した控訴人の父親の訴外小林武が前記再審査請求を前記所定の再審査請求期間内になすことが不可能、ないしは著しく困難であつたことは認め難く、また右主張の事情のうち、再審査請求の方法がよくわからなかつたとの点については、原本の存在とその成立について争いのない乙第五号証(前判示の審査請求棄却決定書謄本)によれば、控訴人に送付された前判示の審査請求棄却決定書の末尾にはこの決定に不服があるときは決定書謄本が送付された日の翌日から起算して六〇日以内に労働保険審査会(東京都港区芝公園六号地の一労働委員会会館内)に再審査請求をすることができる旨記載されていたことが認められるので、これを真実とは認め難い。更に、右主張の事情のうち原判決書八枚目表八行目から同一三行目までに記載の事情即ち、前記北海道労働者災害補償保険審査官の審査請求棄却の決定処分があつたのち、同審査官から控訴人の父親の小林武に対し「労災保険と健康保険の両方の手続を上にあげていくとどちらかで認められる。」との説明があつたので、右小林武は、右説明を聞いて、控訴人を代理して健康保険法に基づく保険給付の請求の手続をとり、安心し前記再審査請求手続をなさず放置したため、止むを得ず前記所定の再審査請求期間を徒過してしまつたものであるとの点については、原審証人小林武は、いつの年かの秋ごろ又は八月ごろ同審査官から右主張のようなことを言われたような気がする旨供述をしている。しかし、原本の存在とその成立に争いがない乙第九号証の記載によれば、控訴人が所轄の社会保険事務所に対し本件負傷の療養費につき健康保険法に基づく保険給付の請求をなしたのは昭和四六年八月一八日であり、これに対し右社会保険事務所から同年一一月一五日付をもつて不支給の決定がなされ、同決定書は同年同月一七日控訴人に送付されたが、控訴人は右決定処分に対し健康保険法に基づく審査請求をしなかつたことが認められるので、右認定の経過によれば、仮に前記北海道労働者災害補償保険審査官から控訴人の父親の小林武に対し右供述のとおりのことが言われたとしても、その時期は、右審査官の前記審査請求棄却決定が前判示のとおりなされたよりも前であつたと推認され、右審査請求棄却決定がなされた当時においてはすでに控訴人に対し健康保険法に基づく保険給付の不支給決定がなされていたことは明らかであり、しかも右不支給決定に対して健康保険法に基づく審査請求をしていなかつたことは前判示のとおりであるから、控訴人の父親の小林武が右審査官から右供述のとおり言われて安心したため、労働保険審査会に対する前記所定の再審査請求期間を徒過したということはあり得ないものと考えられる。他にこの点(原判決書八枚目表八行目から同一三行目までに記載の事情)を認めるに足りる証拠はない。してみれば、控訴人が前記再審査請求を前記所定の再審査請求期間内にしなかつたことについて正当な理由があつたことは認められない。してみると前判示の労働保険審査会のなした、控訴人の前記再審査請求を却下した決定は適法なものと認められる。しかして、労働保険審査会に対して再審請求をなしてその申立を不適法として却下された場合においては、改正前の労働者災害補償保険法三八条にいう当該処分についての再審査請求に対する労働保険審査会の裁決を経ていないものというべきであるから、控訴人の本件主位的請求の訴は、右裁決を経ない不適法なものというべきであつて、却下を免れないものである。

二予備的請求について

(一)  改正前の労働者災害補償保険法一二条二項は、労働者に対する保険給付は労働基準法に規定する災害補償の事由が生じた場合にこれを行なう旨定めているものであるから、右労働者災害補償法にいう「労働者」とは労働基準法に規定する労働者と同一のものをいうものと解される。しかして、労働基準法九条は、同法にいう「労働者」とは「職業の種類を問わず、同法八条の事業又は事務所に使用される者で、賃金を支払われる者」をいうと定めており、右にいう「使用される者」とは「使用者の指揮命令に服し使用者との間に使用従属の関係にある者」であると解するを相当とし、また右にいう賃金について同法一一条は「賃金、給料、手当、賞与その他名称の如何を問わず、使用者に労働を提供する対償として使用者が労働者に支払うすべてのもの」をいう旨定めている。

(二)  そこで、控訴人が右にいう労働者にあたるか否かについて以下検討する。

1  〈証拠〉を総合すれば、次の(1)ないし(4)の各事実が認められる。

(1) 控訴人の父親の小林武(大正三年三月二〇日生)は、北海道紋別郡遠軽町において製材工場を設けて製函材とチップ材の製造販売業を営んでいたが、控訴人は、昭和四六年二月一日午後二時三〇分頃右製材工場において丸鋸を操作して製函材の巾を決め耳を切り落す作業に従事していたところ、突然飛んできた木片が左眼々鏡に当り眼鏡が割れて左眼球破裂の傷害を負うた。控訴人は、昭和四二年一〇月頃から右製材工場において右仕事等に従事していたが、その毎日なす仕事の段取は、小林武が雇用していた他の職工とともに小林武又は最も年輩の職工である訴外内藤某の指示を受けて遂行し、出、退勤の時間もほとんど右他の職工と同じであり、控訴人自身は何ら右他の職工を指揮監督しておらないばかりか、営業面についても一切を小林武が取り仕切つていた。

(2) しかし、控訴人が右仕事に従事するようになつた経緯等についてみるに、控訴人は、小林武の長男(一人息子)であり、昭和四二年札幌市所在の短期大学を卒業してただちに同市内の事務器機販売を目的とする会社に就職し、以来同社から月額金二万五〇〇〇円の給与を得て勤務していたが、当時妻及び約三名の職工を使用して前記製材工場を経営していた小林武は、老齢に達したうえに脳軟化症に罹患したため、控訴人をして前記事業の仕事全般を覚えさせて、控訴人にやがて前記事業を承継させようと考え、昭和四二年一〇月頃、控訴人に右の考えを伝えて、控訴人をして右会社を退職させて、小林武方に呼び寄せ、前記製材工場における製材機械の操作等の仕事に就かせた。小林武は、控訴人に前記事業を承継させるためには、控訴人をして、まず前記製材工場における肉体労働に精通させる要があり、営業面には早くから関与させるべきでないとの考えから、前記製材機械の操作等の仕事に従事させたものであるが、折にふれ、控訴人に対し、お前を前記事業の跡取りにするつもりである旨伝えていた。

(3) 控訴人は、小林武から、昭和四二年一〇月頃から同四五年一〇月上旬頃までの間毎月手取りで金一万五〇〇〇円の支給を受け、以後は毎月金三万円から保険料と厚生年金の掛金との合計金二八〇〇円ぐらいを控除した残金の支給を受けていたが、右支給金から給与所得税の源泉徴収はさなれかつた。しかし、小林武がたまに忘れてしまつて控訴人に右金銭を支給しなかつたこともあり、又控訴人は、事業主が父親であるということから甘えて前記製材工場を二、三度勝手に休んだこともあつたにもかかわらず、その月分の支給金は減額されなかつた。そして、控訴人から小林武から受けていた待遇と小林武に雇用されていた他の職工のそれとを比較してみると、(イ)右他の職工の賃金は、日給で計算され、毎月末日締切で翌月一〇日に前月分をまとめて支払われていたため、出勤日数によつて毎月の金額に変動があつたが、控訴人が受けていた前記支給金は前記のとおり毎月定額と決められていて、休んでも減額されなかつた、(ロ)控訴人は前記他の職工と比較して格別勤務成績が劣悪でもなかつたにもかかわらず、右他の職工の賃金は毎年増額されていたのに対し、控訴人の受けていた前記支給金は前記のとおりであつて毎年増額されなかつた、(ハ)控訴人の受けていた前記支給金は、前記他の職工のうち控訴人と同年齢位で前記仕事につき同一経験年数を有する者の賃金よりも安かつた、(ニ)前記他の職工はボーナスの支給を受けていたが、控訴人は、ほとんどボーナスの支給を受けておらず、たまにこれを受けても、その額は前記他の職工のボーナスよりも安く、僅少であつた、(ホ)前記他の職工は残業すると残業手当の支給を受けたが、控訴人は残業しても残業手当の支給を受けなかつたなどの諸点で相違していた。

(4) 控訴人は、前記(2)記載のとおり小林武に呼び寄せられて以来同人方に同居して同人の家族の一員として寝食を共にし、同人に対し食費や家賃などは一切支払わなかつたが、同居すると何かとわずらわしいこともあることを理由に、昭和四五年一〇月上旬頃、前記製材工場のそばにあり、小林武方からせいぜい一五〇メートルほどしか離れていない同人所有の建物に別居することを申し入れたところ、同人が控訴人の結婚準備にもなると考えて右申し入れを承諾したので、控訴人はじ来右建物に寝泊りするようになつた。しかし、控訴人は、従前どおり、食事は小林武の住居でその家族と一緒にし、小林武に対し食費、家賃及び右建物に関する電気代などを一切支払わなかつた。

2  〈証拠判断省略〉。

3 前記1の(1)において認定のとおり控訴人は、事業主である父親の小林武や前記内藤某の指揮命令を受けて前記製材工場において製材機械を操作して小林武の仕事に従事していたものであるところ、小林武は控訴人が右仕事に従事していることを契機として前記1の(3)に認定の金銭を支給していたものであるから、これらの事実だけをとらえると、控訴人と事業主の小林林武との間には使用従属の関係があつて、控訴人は小林武から労働を提供した対償としての金銭即ち賃金の支給を受けていたものであるとみられないでもない。しかし、前記1の(2)において認定の、控訴人が右仕事に従事するようになつた経緯、小林武と控訴人との身分関係、小林武の控訴人に対する普段の言動、前記1の(3)において認定のとおり、小林武は控訴人に毎月支給すべく決めていた金銭を忘れて支払わなかつたことがあつたうえに、小林武の控訴人に対する対遇と小林武が雇用していた他の職工に対する対遇との間にはかなり相違する点がみうけられること、前記1の(4)において認定のとおり、控訴人は、小林武の家族の一員として食事を共にし、同人に対し食費、家賃等を一切支払つていないことなどの諸点を考え合すと、小林武は、控訴人を将来自分の後継者にするため自分の手もとで仕事を仕込み、控訴人をして事業を継承させるための見習をさせていたものであり、また控訴人が小林武から支給を受けていた前記1の(3)においで認定の金銭も労働の対償というよりはむしろ、右見習期間中父親の小林武が息子の控訴人に支給していた小使銭ではなかろうかとの疑問が持だれるところであるから、前記1の(1)において認定の事実や前記1の(3)において認定の小林武が控訴人に毎月金銭を支給していた事実をもつて、控訴人と事業主たる小林武との間に使用従属の関係があり、また右支給の金銭は、控訴人が小林武に労働を提供した対償として支給された賃金であると断定することは困難であるといわなければならない。他に控訴人が前記負傷当時前記(一)に説示の労働者であつたことを認めるに足りる証拠はない。

(三) そうだとすれば、控訴人が前記労働基準法に規定する労働者に当ることは認められず、従つて、また労働者災害補償保険法の適用を受ける労働者であることも認められない。してみれば、被控訴人が昭和四六年五月一日付をもつて控訴人に対してなした労働者災害補償保険法による療養費及び休業補償費を支給しない旨の処分に重大かつ明白な瑕疵が存在したことは認められないので、右処分が無効であるものと認めるわけにはいかない。

よつて、控訴人の予備的請求は、理由がないので、棄却すべきである。

三以上の次第であるから、原判決は相当であり、本件控訴は理由がないので、民訴法三八四条一項に基づいてこれを棄却することとし、控訴費用の負担につき同法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(宮崎富哉 長西英三 山崎末記)

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